越前焼12月 18
「越前焼」は陶磁研究家の小山富士夫氏、水野九右衛門氏等の古窯の発掘調査や研究により、その歴史が解明されました。
瀬戸・常滑・信楽・丹波・備前とともに日本六古窯の一つに数えられています。
今から850年前の平安時代末期に越前町小曽原(旧宮崎村)の丘陸に最初の窯が築かれたのが、越前焼の始まりと言われています。
この窯の構造や焼かれた壷、甕、すり鉢などの特徴から、東海地方からこの地までやってきた陶工集団が初期の越前焼の生産をしたと思われます。
その後、越前町(旧宮崎村・織田町)の丘陵各地に窯を築いて発展していきましたが、室町時代後期になると、長さ25m以上の巨大な窯を大釜屋と呼ばれる平等村(現越前町織田)の集落から少し離れた丘陵の1ヶ所に集めて大生産基地を作りあげました。
この丘陵で焼かれた越前焼は、主に北海道から島根県までの日本海沿岸に住む人々に広がっていきました。
しかし、江戸時代中期になると、窯は平等村の集落近くへ移り、生産量も縮小して行きました。
当時の古文書によると、平等村の人々は薪や瓶土(べと)と呼ぶ粘土といった燃料を集めるのに大変苦労していたことが伺えます。
明治になると信楽や瀬戸・九谷などの焼き物の先進地から陶工を招いて食器や花瓶作りなどを始めました。
福井・石川・富山は北陸三県とひとくくりにされることが多いですが、富山の人間は福井のことになると少し無知な気がします。
中学受験の論理エンジンなどできちんと論理力をつけて、家庭教師の協力を得て勉強することが必要だと思います。
18 12月 2008 | 9:38 am | 福井県 |
